「老い」にメリットはあるか
尊敬する漫画家、福満しげゆき先生のX(Twitter)(奥様が運用されている)から流れてきた漫画で、「老いのメリット」を問われていました。
マンガです☺️(1/3) pic.twitter.com/Qf8Xj7sg9J
— 福満しげゆき(妻) (@fukumitsuu) 2024年11月12日
(2/3) pic.twitter.com/JXlUj5u7bt
— 福満しげゆき(妻) (@fukumitsuu) 2024年11月12日
(3/3) pic.twitter.com/wF1tj0MM8Z
— 福満しげゆき(妻) (@fukumitsuu) 2024年11月12日
まあ確かに、「衰え」というところに視線を向けると、老いにメリットなんてないのは至極当然なわけですが、個人的には老いによるメリットは他のところであるはずだろうと直感しています。
そこで今日は、どんなところに老いのメリットが存在するか、想像してみようと思います。
「老い」で得られるもの
必ずしもそれだけに依存はしませんが、老いによって得られるものがあります。それは「説得力」。
なにか含蓄のあることを言うとか、人を動かすようなことを言うとき、若さは枷になる場合が多くあると思います。
もちろん、若さゆえの勢いや、単にその人の能力によってカバーされるという部分はあるのでしょうが、ある程度年齢を重ねているというのはそれだけで、「なにか意味のある言葉」に思わせる魔力があるものです。
まあ、歳を取ったからいいことが言えるというわけではないので、そこを勘違いしてると痛い目見る気もしますがね。
足るを知る
「足るを知る」とは老子の言葉だそうですが、すなわち「身分相応に満足する」ということです。
いくら生きている時間が長くても、その人が持つ知識というのは人により千差万別。
長く生きているほうが知れることとのは知識ではなくて、自分の限界、なのではないでしょうか。
若さというのは、未来への希望が多くありつつ、それ以上に予測不可能な未来への恐怖もまとわりついてくるもの。
それに対して、老いているからこそ、自分にとっての満足のラインというのが見極めやすくなるのではないかと思います。
諦めるということ
足るを知る、は少しかっこつけすぎというか、やや常人には到達しにくい境地のようにも感じます。
もっと正しい言い方はなんだろうかと考えていたのですが、やはり行き着くところというのは「諦める」ということかもしれません。
ここで言いたいのは、悲観する、絶望するという意味の諦めるではなく、いわゆる仏教的な「諦」の概念に近いもの。自分に関係があるものとないものの違いをわかったり、自分のできることとできないこと、たどり着ける範囲とそうでない場所の違いを知るということ。
ある意味でそれが真理というものでもあると思うんですよね。
若い頃は、世界のすべてが自分に関係があるように見えたし、自分が頑張れば、それらに影響を及ぼせるとすら思っていたけれど、現実はそうではありませんでした。
年齢を重ねることで、本当に自分に関係のあること、手の届く範囲を知ることができるし、その範囲を広げるために必要なものが何なのかということを考えられるようになるのではないかと思うのです。
世の中の多くのことは、自分には関係のないことだと「諦める」ことが、本当に大事なことに集中するための技術でもあり、老いにより得られるメリットであるわけです。
まとめ
失うものが多い「老い」ですが、それにより得られるものに着目してみると、一見ネガティブなものでもありつつ、ポジティブな見方もできるのではないかと思います。
まあ結局、考え方次第でどうにでもなるというわけです。歳をとっててもとってなくても、凄い人は凄いわけで。
結局は精一杯生きていくしかないわけですが、年齢を重ねているからこそ、少し肩の力を抜くことができる、そんなメリットがあるのではいかと思っている私です。