
日記です。画像は、内容に一切関係ない牛です。
明日は秋分の日
タイトルの通りなんですが、今日は秋分の日の前の月曜日でした。
火曜日が祝日のときの、平日の月曜日って、なんのやる気も出ないと思いません?
今年の同じ状況をカレンダーで見てみると、2月の10日がそうでした。
めっちゃ忙しかったらしいです。一体何があったんでしょうね(笑)
どうしてこんなにやる気がでないのかと、迷える赤ずきんちゃんに教えてあげるとですね、まあ単純に明日は休みだと思うとそのことばかりが気になってしまうというだけなんですが、今日はそれだけじゃなくてですね。
というのも、ちょっとモヤモヤが晴れなかった一日だったんですよ。まあ、詳細は伏せますが、自分が好きな曲を、知らないアイドルがカバーしているのを見かけて、それをそのアイドルのファンが絶賛してるのを見かけましてね。
これって最近よくある、VTuberが名曲カバーして、オリジナルよりも再生回数が上回ってるとかいう状況にも似てるよなァと思って、この感情を解決するにはどうすれば良いんだろうというモヤモヤが残ったんですよね。
まあ、ほんとは、「変なカバーだな!」とか、「原曲へのリスペクトが足りないだろ!」とか言いたくなるところをグッとこらえて、自分の受け取り方について疑問を呈してみたわけです。
で、よくよく考えていくと、これって昔からきっと何度も繰り返されていることだと思うんですよね。音楽に限らず、かつて名作であったもの。特に、演じる人が変わることで成立する演芸なんかだと、かつてはある人のものであっても、後の誰かにとっては、別の誰かのものになる。
こういうときに、新しいものに対して目くじらを立てる姿勢って、やっぱり本当はちょっと良くないんだろうなと。寛容に、新しい出会いに祝福をするのが、そのオリジナルに対しても良いものをもたらすんだろうなと思うんですよ。
……っていうふうに、頭では考えられるんですけど、それでもやっぱり、良くない気持ちが湧き上がるんですよね。どう考えてもオリジナルが素敵で、これは質の悪い贋作じゃないかと叩きつけたくなってしまう。心が理解しないんですね。
というわけで、自分の中の理性と本心がせめぎ合ってモヤモヤしてしまったというわけなんです。
ひとしきりモヤモヤして、結論、まあやっぱ気にしない、という選択をとるのが一番だなと思い直したのでした。
何事も出会いと刹那性の連続の中にあって、いつどこで出会ったかというだけの要素で、物事に対する印象は180度変わるわけですから、ただ自分がちょっと先に知ってたくらいで偉そうにするなと。
そういう教訓を自分に言いつけた、月曜日の夜だったのでした。