ささざめブログ

さめざめと語ります。日記、エッセイ、短編、感想、その他。

前職辞めてからそろそろ3年だし、赤裸々に退職エントリでも書いてみる(30代男性・SE)

はじめに

こんにちは。現在、フリーランスでソフトウェアエンジニア(SWE)をやっている、ささざめです。

かっこつけてSWEなんて言ってみましたが、まあぶっちゃけていえば、いわゆるシステムエンジニア。SEです。

私が元々在籍していた会社を退職したのが、2023年の1月でした(その後、有給期間を経て実際の退職は3月頃でしたが)。あれからもう3年近く経つのかと気づいたところで、そう言えば退職エントリらしきものを書いていないんじゃないかと思い、このタイミングで筆を取ってみることに。

別になにか面白い話があるわけじゃないと思いますが、気になる人は読んでみてください。

入社

多くは語れませんが、私はかなり特殊な経歴でして、色々あって24歳の頃に新卒として就職活動をしていました(24歳だったのは単に浪人+留年してるからなんですが、それ以外にも色々ありました笑)。

実はこの時点では、IT関係に進むか、あるいはコンサル系に進むかと悩んでいました。経営学部卒なためですね。

結果的には、性格的にコンサル業は向かないなぁと思ったし、職業としての魅力を感じなくて、SEをかなり魅力的に捉えて、そっちの面接をかなり受けました。

ただ、先述の通り、経歴が特殊でウケが悪くてそれなりに苦しみました。

最終的に、2社から内定が来て、それぞれ大阪と兵庫の会社だったのですが、大阪の方は大阪梅田のビル群の中の会社で、面接で関わった先輩社員の人柄も良くて、そっちしかないなと即決でした。

ようやく入れた会社。実態としては、SIerと呼ばれるタイプの会社で、基本的には客先常駐型の技術者派遣業が主。でも、社内開発の案件もあって、自社オフィスで開発しているメンバーもそれなりにいました。

その時点で既に、客先常駐はクソだとか、社内開発とか自社ソフトがない会社はクソだとか、そういうインターネットの言論はいくらでも目にしていて、私もなんとなく社内開発でやっていけたらいいのかなぁと思っていたんですが、入社から4ヶ月経った頃、某大手メーカー系A社の案件に参画が決まり、そこから退職するまでの約6年はそこから一度も退場することはなかったのでした。

ワクワクドキドキの初社外案件

社内開発の案件に一ヶ月ほど携わり、そこでの活躍を認められた結果、早々に社外の案件にアサインされることになりました。

その頃はまだリモートワークなんて聞いたこともない頃でしたから、もちろんフル出社。朝から一時間かけて、A社最寄りの、免許更新のときにしか通ったことのなかった知らない駅に行き、そこから社屋まで15分ほどかけて歩く。そんな往復がこの先しばらく続きます。

A社の内部システム(20年以上前から稼働しているもの)を、WEBシステムとして刷新するというプロジェクトで、詳細設計フェーズからの参画でした。

最初の一月くらいは、頼りになる先輩社員・B氏などの力を借りながら、粛々と実装を進めていたわけですが、二ヶ月目くらいから雲行きが怪しくなってきました。そして瞬く間に炎上。

正直、これが初めての現場だったので、「そんなもんなのかな」と思っていたんですが、後から考えるとそのときは相当にひどい状況で、新人なのに月の稼働時間が200h超え、22時頃までみんなオフィスに残ってる、みたいなのが常態化していました。


色々と苦難はあったわけですが、なんとか本番リリースまで到達したのが、参画から約1年後。

ここまでの間に、私が担当した機能の数も結構なものになっていたんですが、その中の一つは、実はこのシステムの中でもかなり重要な機能部分で、ホスト側から送られてくる処理データと、新システム側で生まれた処理データの送受信のところにかなり入り込んでいました。

その結果、機能の属人化が起き、その部分が「私しか触れない」ものになっていきます。これが、この後離れられなくなっていくもっとも大きな要因の一つでした。

また、本番リリースも落ち着くと、開発体制の縮小も起きます。当初30人近くいた開発メンバーも、保守開発フェーズに入ると10人程度に。そのうち、自社から出向しているのは私を含めて5名程度となりました。

この時点では、私はまだ、チーム内のNo4, 5といったところでしたが、少ないメンバーの中で、柔軟にあれやこれやと動き回っているうちに、気づけばNo2くらいの位置に立っていました。


これは少し余談ですが、私がチーム内のNo2的なポジションに立ち始めた頃、某感染症の大流行が始まり、そこからはリモートワークがメインとなりました。

リモートワーク、色々と大変なところもありましたが、私にとってはそれはもう向いていて、もう一生これが続いてくれればいいのに、と思いました。

また、リモートで何かをするのが業界的にも当たり前になりましたから、今まではあまり役割が回ってこなかったような、顧客に資料を提示して説明して、みたいな立場が回ってくる頻度も増えたと思います。

これはまあ、マイナスポイントでもあるんでしょうが、個人的にはキャリアとしてプラスだと思っています。


そんな時節でしたが、実はこの頃よりも前から、私はずっと異動の打診をしていました。

正確には自社の上司たちの中でそういうストーリーが出来ていて、現在のチーム内にいるNo1のB氏、No2の私を、いい加減別の現場に移そうと。で、そのために、まず先にNo2のわたしの方から退場させようと。

しかし、そういう話を聞かされてから1年、2年と音沙汰がありませんでした。それもそうで、もうその頃には、どうやってもB氏も私も、抜いたら開発が回るような状況ではなかったんですね。

そもそもそこの開発はかなり特殊な環境で、外から持ってきたスキルがあまり活かせないし、業界的な知見とか企業的な文化とか、内部的な事情にかなり左右されてしまって、末端メンバならともかく主要メンバの入れ替えはかなり厳しい。

とはいえ、企業として手を打たないわけにはいかない。ということで、まだ3年目くらいの私と変わるべくして、業界歴20年近いベテラン社員C氏が送り込まれてきました。

しかし、C氏はやや技術肌な方で、顧客との関係性があまり良くなく、表面上のフロントにはC氏が立つことが増えたものの、結局受けごたえしているのはB氏と私、みたいなことが多かったのでした。

さよならB氏

そろそろ、個人的には限界が来ていて、もう現場を抜けさせてくれと。そうでないなら退職するぞというくらいの意気込みで、上司に直談判しようか。

そう思い始めた頃に、衝撃のニュースが舞い込みました。これまでずっと頼りにしてきた先輩・B氏の異動でした。

経緯は伏せますが、そりゃあまあしょうがないよね、という事情で、私もB氏には恩義があったので暖かく見送ったのでした。

ただし、残された我々には不安ばかりがのしかかります。果たしてB氏なしでやっていけるのだろうかと。

結論から言えば、なんとかなりました。なんでって、頑張ったからです。

まあ今にして思えば、本番リリースから数年経ち、それなりに不具合も落ち着いてきていたので、当然だったのかもしれません。ただ、大きなトラブルなくその後も運営出来ていたのは、自分の頑張りがそれなりに役立っただろうという自負がたしかにあります。

それから1年

B氏が抜けてから1年が経ちました。障害やトラブルは度々起きているものの、なんとか捌ききれています。

B氏が抜けた穴も埋まるようになり、C氏もそれなりに頼れるようになってきました。しかし、自社側からは一向に「私」に対してのアクションがありません。面談をしても、「入れ替えたいんだけどなかなか…」という雰囲気。

事情はわかっていて、案件のキーマンが完全に私を指名している状況で、おそらくB氏を抜く条件として私の残留を約束しているのだろうと思っていました。(確かそんな話を営業から聞いたような気もします)

この頃から、私の心はもう「抜けるには退職しかないな」という選択肢が浮かんでいました。

顧客サイドからしたら、初期開発の頃から残っているメンバーで全体を把握している人材を外されるのはあまりにも痛いのは当然のこと。引き止められて当然だろうと思います。

自社の視点だと、色々と活躍はしているかもしれないけれど、私の存在はあくまで1人月分の売上でしかないわけで、そこを入れ替えるために、例えば2人月分のコストを掛けられるかと言うと、リソース的な問題で難しい。(内部事情として、中途採用にかなり苦しんでいて、人のやりくりが上手くいっていないことも知っていました)

脳内で色々と考えを巡らせても、会社間の取引の中で、私は会社に在籍しているのにA社プロジェクトからは抜く、というのは到底容認されないだろうと。そういうストーリーが思い描け無いなと。

そんなことを脳内で膨らませていっていた頃、いよいよもう限界だというのと、なんとなくプロジェクトを離脱できるようなスケジュール的な隙間が見えたので、退職を決意したのでした。

円満退社だよ

そこから退職までは、存外にスムーズに行きました。

どうやったって引き止められるのは目に見えていたので、前向きな退職で、将来の挑戦のためにどうしてもという筋書きを立てて、退職の連絡を上司にしました。

余談ですが、この時点で私も役職持ちでした。手当は雀の涙でしたが。

退職するかどうかの相談ではなく、退職の時期や今後の流れについての相談、という前提を置いて上司に連絡して、ストーリーもしっかり組み立てていたので、あっさりと理解を得られ、そこからは終了に向けて走り始めました。プロジェクトから離脱するよりも3ヶ月くらい前だった気がします。退職日から逆算すると、4~5ヶ月くらい前から伝えていますね。

有給休暇も2ヶ月分近く残っていたし、制度上は急に来月辞めます、も出来たんでしょうが、そこは円満にいこうよと、しっかり時間を取って準備し、スッキリ終了日を迎えました。

今まで抜けていったメンバーが残してきたのよりも数倍の量の引き継ぎ資料を残し、かなり敵対視していたキーマンにも笑顔で感謝を伝え、久々に出社した常駐先のビルを出て深く息を吐いたのを覚えています。

そこから2ヶ月ほどの有給休暇を経て退職するわけですが、その間もその後も、電話がかかってくることもなく、もうすっかりあのプロジェクトのことも中身のことはすっかり忘れてしまって今を迎えています。

辞めてよかった?

まだ見極めるのは早いかもしれませんが、現時点の私としては、退職の選択肢を取ったのは大正解だったなぁと心から思っています。

一つのサービスで起きる様々な課題やトラブルに直面し続けた5年強。エンジニアとしての実力はかなりついたと思う一方で、経歴的な強みが全然増えていかない。会社としては、顧客との関係性維持だったりなんだりで、価値ではあるんでしょうけど、自分の中では「このままじゃヤバイ」がずっと積み重なり続けていたんですよね。

それに加えて、人間関係的な部分もかなり辛くて、もういやだ、と泣きそうになりながらラップトップに向かっていることも度々ありました。

投げ出してしまえばよかったのかもしれないのですが、そこは性分的な問題で、「会社に迷惑をかけるなぁ」とか、「チーム状況的に無理だ」とか思ってしまう。そんな感じで堂々巡りだった数年を過ごしました。

仕事を辞めるときには既に、フリーランスになる目論見をしていました。もう、そういうしがらみとかなしで働きたいと。何したって「自分の責任」だと思えたほうが気が楽だなと。

もちろん、いろんな不安はあるんですが、会社に守られることよりも、「自分で自分の責任を取る」という方が、自分にとっての目的になったのでした。

まとめ

最後はちょっとかっこつけちゃいました。

ぶっちゃけて言えば、ここまでに触れなかったんですが、新入社員メンターとか、部下の業務状況のとりまとめとかもやってたんですけど、働きぶりに対して給料が低いだろ!という怒りも、退職への原動力の一つでしたね(笑)

フリーランスとしてまともに働くようになってから2年ほどなんですが、今のところは案件が途切れることもなく、辛いことは多々あれど、なんとなく頑張れています。手取りもちゃんと増えました。まあ将来的な金額を積み重ねたらどっちが、ってのはわかんないんですけど。

この先、やっぱり心変わりして、会社勤めしようとなるときは、おそらく来るんじゃないかなと思っているんですが、とりあえず今のところは、このまま頑張っていこうと思っているささざめでした。