ささざめブログ

さめざめと語ります。日記、エッセイ、短編、感想、その他。

大人になったら、何が「ダサい」かどうかの価値観を見直したほうがいい

ダサ坊がよぉ……

常日頃思っていることの一つに「自分がダサいと思う自分になりたくない」というものがあります。

ここでいうダサいっていうのは、いわゆるファッションの話ではなくて、生き方とか価値観の話。つまり、「ダセェ生き方してんじゃねぇか?」っていうのを見直すのが大事なんじゃないかと思うんですよね。

10代、20代でもそう考えって大事だと思うんですけど、歳を少し重ねたからこそ見えてくる「ダサさ」があると思っていて、それに気づく機会を考えてみる必要があると考えています。

もちろん、そこに正解なんてなくて、人それぞれの答えがあるだけなんですが、個人的に思っている「ダサいこと」を自戒も込めて書いてみようと思います。

即物的なものに左右される

モノやカネに、自分のアイデンティティを委譲するのはダサいことの真骨頂だと思っています。

特に、そこに意思が乗っていない、「ただ人気だから」「金額が高いから」という見栄のためともいえるような理由でそこを重要視することは、自分の根底にある深みを出す機会も手に入れられず、ただステータスをひけらかすだけの結末になるのではないかと。

こういうと、ただお金持ちをひがんでいるだけみたいになってしまいますが、私が言いたいことはちょっと違います。そこに感情が強く乗っていて、その価値が自分の言葉で語れるものであるならば、存分にお金をかけるべきだとも思うんですよね。

何がダサいかどうかを考える、というこの記事の趣旨とも類似しますが、自分が愛すべきもの、価値があると思っているものを改めて見直すということが重要ではないかと思うのです。

そういう意味で考えると、実は自分は「ケチ」すぎるという問題もあると思っていて、自分が価値があると思っているものにもっとお金をかけた方がかっこいいのかも、なんて考えてたりします。

実績のない奢りと野心

これはもう単純で、「なにもやらずにすごい人間のフリをするのはやめよう」ということ。

野心があるってすごい魅力的なことだと思っているんですが、三十路も過ぎたのに、まだ野心を語ってるだけっていう人、いるじゃないですか。

かくいう自分も、そうなりがちな人間だという自覚があって、やっぱりこれってよくないよなと。

悩むより、語るより、やれと。必ずしも勝つ必要はないから、負けた記録を増やせと。

勝ったことも負けたこともないのに、夢を語るおじさん、一番見てられないでしょ、と思うんですね。

まとめ

このほかにもいろいろダサいよなぁと思うことはあって、「認知厨」とか「スパチャ額を競い合う風潮」とか「面白ければ誰かの権利を侵害していても問題ないと思う態度」とかいろいろ……。

まあでも、そこにも美徳もあるとは思うので、そういう価値観の人をけなしていい理由にはならないとも思うのです。

なので、それで誰かを攻撃していいという話ではなく、あくまで自分の生き方を見直すために、自分自身の価値観を見つめなおすべきだと思っているささざめでした。