ささざめブログ

さめざめと語ります。日記、エッセイ、短編、感想、その他。

下書きに入ったままの書きかけ記事を供養しよう(モキュメンタリーの誤解/いま、私が見てる未来)

お題「下書きに入ったままの書きかけ記事を供養しよう」

まえがき

ブログを継続していると、とりあえず書こうと思ってはみたものの、途中で諦めて、下書きに入ったままのものなんてのが出てきます。

中には、いつか続きを書くかも、と思ったままかれこれ1年くらい放置されてるものもあったりして。

もうそんなの捨てればいいじゃん、とも思うんですが、「書きたい」という気持ちもあるんですよね。

ただ、改めて読んでみたり、筆を進めようとしても、やっぱり進まない。というか、書けない理由がわかっていたりするものも。

そんなわけで、かけてる分だけ置いて、あとはもうきっぱり捨てようと。そんなお題を作りました。第一回です。

モキュメンタリーの誤解

書きかけの本文

モキュメンタリーの誤解

先日見た『初恋ハラスメント』や、某オモシロWEBメディアの某チャンネルの炎上の反応などで見えてきたのですが、最近「モキュメンタリー」という言葉の誤解がどんどん顕著になってきている気がします。

モキュメンタリーとはすなわち、モック・ドキュメンタリー。モックという言葉には「見かけだけの」とか「まがい物の」的な意味が乗っかります。つまり、ドキュメンタリーと見せかけてそうでないというのがこのモキュメンタリーという作品。

歴史的に見ていけば、非常に多くの作品が出てくると思いますが、中でも目立つのが『食人族』、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』、あるいは国内作品なら『ノロイ』やTVシリーズの『放送禁止』など。

これら多くの人気作品はホラージャンルに属していることもあり、最近はどうも「モキュメンタリー=ホラー」という図式になってしまっている模様です。

しかしながら、モキュメンタリーという作品。つまり、ドキュメンタリー(事実を記録した性質をもつ作品)的要素をもちながら、虚構を織り交ぜることで面白みを見出す作品というのは、なにもホラーだけではありません。

『川口浩探検隊』とか『山田孝之の東京都北区赤羽』、最近の作品だと呂布カルマの密着ドキュメンタリーと見せかけたコメディ作品だった『カルマの木』など、ホラーでないけどモキュメンタリーというような作品も多いのです。

最近は、モキュメンタリーという言葉の認知度が高まりすぎて、だんだんとモキュメンタリー系の作品だというだけで忌避感を覚えてしまうような人もいるようで、これはちょっともったいないなと。

振り返る

初恋ハラスメントの話が出てるので、去年の4月頃に書こうとおもった記事ですね。某チャンネル、っていうのは、オモコロさんのところの「ふっくらすずめクラブ」の話です。チャンネル名変更のあれこれで、モキュメンタリーなんじゃないかって騒がれたやつですね。実際にはただ単に滑っただけでした(笑)

現在進行系で、フェイクドキュメンタリーQとか、TXQ FICTIONとか楽しんでるのと、あと、昔から個人的に放送禁止とか白石晃士監督作品とか、山田孝之の東京都北区赤羽とか好きだったので、モキュメンタリーものには好意的な私。

世間の声を聞いていると、最近モキュメンタリーアレルギー的な人が増えてる気がするんですよね。なんか言葉が先行して、ジャンルごと嫌われてるっていう感じ。

ホラー系だけじゃないよ、という話とか、必ずしもモキュメンタリー=考察要素があるとかじゃないよ、っていう話がしたかったんですが、ついぞまとまることがありませんでした。

まあそもそもモキュメンタリー・フェイクドキュメンタリーっていう定義自体が曖昧なわけですよ。だから、ジャンルごと否定せずに、まあ作品の一要素を表す言葉なんだな、くらいに受け取ってほしいところですね。

いま、私が見てる未来

書きかけの本文

いま君は何を見てる?

今日はふと、これから先の未来のことに思いを馳せていました。

「私が見た未来」なんて本が大ヒットするような、未来を憂える人の多いこの頃ですが、実際のところどうなんだろうかと。

ちょっと前まで、かなり悲観していたんです。将来のこと。生成AIの急激な発達がダイレクトに仕事に影響してくる立場でもあるので、これからどうなっていくんだろうと。

ただ、最近は少し考え方が変わってきて、段々と楽観的になってきました。これは、自分の仕事がどうのこうのという話ではなくて、もっと大局的な、人間の生き方的な面の話です。


これまでの技術の発達もすごいものがありましたが、

振り返る

エッセイですね。こないだ、7/5で日本が滅亡するんじゃないかみたいな感じで騒がれていたときに書こうとしたので、このタイトルになっています。旬を過ぎましたね。まあ、ちょっと皮肉もこもってるので、出さずに正解でした。

内容的には、技術的な進歩が凄くて、悲観してたけど楽観的になってきたよっていう話でした。

なんか書いているうちに、やっぱり自分の心の中が不確実というか、嘘になっちゃうなぁって思って諦めたのでした。

何が言いたかったかというと、「AIで仕事が奪われる!」って騒いでたこの頃で、自分もいつ奪われるかってビクビクしていたけれど、もしそうなったらその頃には多分自分以外の大多数が仕事を失っているだろうし、そもそも社会のありようが変わっているだろうと。そういうことが言いたかったんですね。

だからまあ、今は今で眼の前の仕事を頑張ればいいという話で、まだ少し先の未来のことは、グラデーションというか、徐々に変わりゆく世界に順応していけばいいじゃないかと。

一方で、ハード的な問題でとか、以外と生成AI関連が伸び悩んで、あんまり生活が変わらなかったという可能性もまあなくはないので、変に悲観的になるよりは、なるようになるさという心持ちでいればいいかなと考えているというエッセイが書きたかったのでした。


まとめ

なんか、ちゃんと本腰入れたらかけたんじゃ?という気もしなくもないですが、あえて「捨てる」という意識だからこそ出せるものもあるというわけで、これで一本にしてしまおうと思います。

よければみなさんも、書きかけの記事を捨てちゃいましょう。

お題「下書きに入ったままの書きかけ記事を供養しよう」