ささざめブログ

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【テレ東】謎だらけのイベントの結末『祓除 事後番組』の感想と考察

 11月18日に横浜赤レンガ倉庫にて開催された、テレ東60祭というイベントのなかの企画、『祓除』その結末となる『祓除 事後番組』の感想を綴る。

 ちなみに、結論だけ言うとなにもわかりませんでした。

(番組公式HP)

www.tv-tokyo.co.jp

 

(番組公式Xアカウント)

https://twitter.com/futsujo_tvtokyo

 

(事前番組の感想はコチラ)

sasazame.hateblo.jp

 

(イベント本編の感想はコチラ)

sasazame.hateblo.jp

 

事後番組本編

youtu.be

番組の流れと視聴時の感想

 事前番組、異例のリアルイベント、それぞれで謎を沢山残し、ネット上で物議を醸した本作。その総括ともいうべき、締めくくりの事後番組が、11/29深夜にテレビ東京にて放送された。

 私は関西在住のため、リアルタイムには視聴出来なかったが、その後のYouTube配信により視聴が叶った形となった。

 

 まずは冒頭、イベントをざっと振り返る映像が流れる。各種「祓除」を行った映像達については、一部のみ放送されるため、それらが見たいという方は配信本編を見てほしい。
 テキストのみで、祓除の定義を改めて紹介したりもしていたが、ここでも祓除の「除」の字は、へんの部分が縦棒で表現されていた。QRコードも表示されるが、これは普通に配信のイベントページへのURLである。

 

 振り返りもそこそこに、ここから事後番組の本編がスタートする。よしぴよがステージから勝手に退場したあとの話だ。ステージから帰ってきた途端に、激怒する祓除師よしぴよ。

「なんなんすか!あの白いの!仕込んでたんすか!」

 信じられないくらい濃いモザイクで、今回構成に名前を連ねた人気作家梨氏と背筋氏が画面に映し出される。演出を務めた寺内康太郎氏も登場し、よしぴよに「なんで退場してきたんだ」と詰め寄る。(ここ、正直ちょっと面白いなと笑ってしまった)

 すみませんでした、と謝るよしぴよの姿が痛々しく映る。

 

 テレビ東京の視聴者センターに寄せられた意見も紹介される。
 「お前たちもあの男もペテン」と罵る声(なぜか一部分がモザイク処理されている。おそらく、なにかテレビ東京にとって都合の悪いことが書かれているということだろう)。
 父をなくしてから塞ぎ込んでいた母が元気を取り戻したという声。
 
 さらに、視聴者から送られてきたFAXや手紙も。これらは、事前番組で紹介された手紙と同一人物、あるいは同じような思考を持っている人間から届いたとしか思えない内容であった。(事前番組は非常に読みにくく憤慨したが、今回は優しくなっていたので、もしかすると前回の不満が届いたのだろうか……笑)
 どちらも、いわゆる「電波」な内容で、理解できそうで理解できない内容である。

 

 続いて、またもや、うさん臭い人物が登場する。「超心理学」を研究しているという宮崎氏から番組へのコンタクトがあったことが明かされる。彼は、よしぴよの存在を非常に疑っている様子だ。よしぴよがやった儀式について「非常に神経質に考えなければならない」という忠告をしているようだ。

 よしぴよは、あくまで「フェイクドキュメンタリーを本人として演じる役」を与えられた人物だった。会議室での大森時生氏、背筋氏、梨氏(相変わらず二人のモザイクが尋常じゃなく濃い)との打ち合わせも映し出され、制作陣がよしぴよ側にある種「無理やり」演じさせていた結果だったのではないかというのが明らかになる。
 (余談だが、会議室のシーンでは、扉に「共用会議室内ではマスク着用」という張り紙が非常に目につく形で張り出されている。しかし、マスクをしている人間は、映像には映っていない。やはり、ここもフェイクドキュメンタリーの世界の中だという演出ではないか。あるいは単純にルールが形骸化しているだけかもしれないが)

 

 スタッフらからの依頼を受け、よしぴよは、オリジナルの「祓い」を考えなければならなかった。彼は、自ら考えた「祓除の儀」を行ったのだった。
 宮崎氏は、この祓除の儀が「見鬼の才」を与えるもの。つまり、霊的なものを見る力を与えるものになっていると考えているようだ。

 続いて、イベント参加者のインタビュー映像が流れる。これは本当の観客だろうか。判別はつかない。このあと何が起こるのか、チューニングが、チャンネルが合うのだろうかという人もいれば、なかには、チューニングが合いました、と感謝を述べる人すらいた。

 

 その後、参加者たちの顔と、雑踏の音と共に画面上には「皆さんの調和が達成されました おめでとうございます」の文字が映し出される。そして、よしぴよがイベントの後、連絡が取れなくなったことが明かされた。

 

 よしぴよと関係の深い人物にコンタクトを試みるスタッフ。よしぴよの友人だという、夏川小夜子氏が登場する。よしぴよと彼女の、若かりし頃の写真まで登場する。演劇学校時代の同級生なのだそうだ(よしぴよが若い!)。

 よしぴよが送った『運命を拓く』という本が映ったり、愛犬を亡くしていること、彼が優しい人間であること、スピリチュアルにやや傾倒していることなどが彼女の口から語られる。

(よしぴよが彼女に送ったという本。人生哲学が書かれた本らしい)

 

 連絡が取れないという話だったが、彼の家を訪れると、普通によしぴよは登場した。事前番組で映されたあの家だ。相変わらずちらかっている。どうやら、体調を崩し寝込んでいたんだそうだ。
 撮影のメインカメラには、彼の姿が普通に映し出されるが、インタビュー用に寺内康太郎氏が構えるカメラには黒いノイズしか映らなかったという。数秒、その映像であろう真っ黒なノイズ画面が映し出された。

 

 祓除の儀について、任せっきりにしていたスタッフ側が、再度あの儀式についてよしぴよに問いただした。すると、よしぴよが突然、通信販売で購入したという木箱に入ったUSBメモリを取り出す。

 2023/11/24 10:41と、パソコンの時計が映し出される。USBドライブの中身は、2つのフォルダ(.fseventsd、.Spotlight-V100)と、文字化けしたファイル名のファイルが多数、そして6つのwmvファイルだった。kenki.wmv, kishin.wmv, nensha.wmv, null - コピー.wmv, null.wmv, reishi.wmv。明らかに不穏なファイル達だ。そしてなぜ、null.wmvだけがコピーされているのか。

 よしぴよはこれが、「心霊力、霊能力が開く」ものだという。

 なお、これはまったくの余談だが、祓除の事後番組の放送があるということが明かされたのは11月23日であった。時系列的には、事後番組の放送決定後に、よしぴよの家に訪れていることになる。

 

 PC上で、最初に流された動画は、イベント会場で流された「白い花」の映像だった。鬼神を敬してこれを遠ざくというメッセージが先に表示される。

 このあと、突如、謎の映像群が映し出される。意味不明だが、それは非常に不気味に感じさせられる内容だ。(フェイクドキュメンタリー「Q」のS1や、テレ東『蓋』を思い出させられるような内容もあった)

 ここの映像、ハチャメチャにクオリティが高い不気味さなので、ここだけでも見てほしい。本当に素晴らしい!

 

 最後に、もう一度、あの白い花の映像が映し出される。映像が終わり、パソコン画面を接写するカメラの反射が画面に映るとともに、よしぴよらしき男性の声がかすかに聴こえ、映像は終了する。

 最後に聞こえた声はおそらく、論語からの引用。「敬鬼神而遠之」と、そのの続きにあたる部分だ。下記の赤字の部分を読み上げているように聞こえた。

樊遅(はんち)、知を問う。子の曰わく、民の義を務め、
鬼神を敬して之を遠ざく、知と謂うべし。

仁を問う。曰わく、仁者は難きを先にして
獲るを後にす、仁と謂うべし。

 

現代語訳
樊遅が知について質問した。
先生はおっしゃった。

「人としてすべきことをし、
鬼神を敬ってむやみに近づかない。
こういう態度を知というのだ」

仁について質問した。

「仁者は難しいことを先に済ませてしまって、
利益を得るのは後にする。
こういう態度を仁というのだ」

引用元:仁者は難きを先にして獲るを後にす ~ 論語の名言 音声付

 前段は「人は人の領分で生きるべきで、鬼神に近づきすぎるな(頼りすぎるな)」ということを言っており、今回ラストに唱えられた後半の部分は「困難に先に立ち向かい、利益を得ることは後回しにする。この態度が仁である」というような意味だろうか。

 なぜ、これらの映像群のラストが「仁」つまり、他人を思いやり、慈しむという言葉に繋がるのだろうか。

 

 そして、最後のメッセージが表示された。

祓除の一部はフィクションであり
あくまでフェイクドキュメンタリーです。
該当箇所は実際の人物・団体とは一切関係がありません。

 一部は? 該当の箇所?と、最後まで謎を残したまま、番組は終了した。

 

事後番組の意図とは

 事後番組では、これまでの内容は全て「フェイクだった」「フィクションだったから大丈夫」ということと、更に「フェイクだったはずなのに、なにかおかしくなった」ということを表現することを意識していたと思う。そして、そうやって「フェイク」を強調すればするほど、逆に不気味に思えてくる。そんな光景を表現したかったのではないだろうか。

 フェイクを謳っているからこそ怖く思える、というコンセプトは、大森時生氏、梨氏のインタビュー記事などで見られた表現だ。

 そんなフェイクを演じる中で、よしぴよ自身に異変が起きたというのが、イベントのラストであり事後番組の冒頭部分だった。実際の所、この事後番組で起きる一連の騒動もフィクションなわけで、つまり、事前番組とイベント本編というのはフェイクの入れ子構造になっていたわけだ。

 ここまでくると、何が真実で何が嘘なのか、全く分からなくなる。だからこそ番組ラストの「一部はフィクションである」という言葉がフックになってくる。

 

結局祓除ってなんだったの?

 この問いの答えというのは、私は正直持ち合わせていないのだが、時系列に起きた事象を並べて行くと、何か見えてくるものがあるかもしれない。

 

・テレ東は60周年を記念して、「祓除」を開催することを決定した(という体で、寺内康太郎らを始めとするホラーコンテンツメーカーを集めて、フェイクドキュメンタリーを作成しようとした)

・テレ東制作陣は、祓除に先駆けて、事前番組やイベント本編で流れた「"要因"の画像や音声」「不気味な映像群」を制作した。

・テレ東制作陣は、祓除の儀を行う役者を募集した。このとき、役者自身が本人役を演じることや、スピリチュアルに造詣が深い俳優であることなどを条件にした。

・いとうよしぴよは、キャスティング会社から送られた候補の中の一人だった。彼は心優しく、スピリチュアルにやや傾倒しているような人物だった。

・テレ東制作陣は、よしぴよに、あくまで演技の仕事であると依頼をした。祓除の儀、「お祓い」の部分については「オリジナル」のものを作成するように求めた。

・よしぴよは、とある霊能力を開花させるような能力を持つUSBを通販で手に入れた。そこに入っていた「鬼神を敬して之を遠ざく」というコンセプトや、白い花の映像を、イベント本編に「祓除」という形でもたらした。

・イベント本編では、度々「調和する」「チューニングがあう」「チャンネルを合わせる」と言った言葉が使われた。よしぴよはイベントのラスト、映像に黒い影が差したり、白い人影を見たりし、彼自身が何か恐ろしいものからの影響を受けているらしい様子が伺えた。

・よしぴよと連絡が取れなくなったテレ東制作陣は、なぜかよしぴよの知人に会いに行き、彼自身の人となりを彼女に聞いた。

・よしぴよの自宅を再度訪れたテレ東制作陣は、彼が自宅で体調を崩していたと聞かされた。その後、彼らはよしぴよに、彼のやった「祓除」について問いただした。

・よしぴよは、テレ東制作陣に、祓除の元となったUSBの存在を明かした。テレ東制作陣は、そのUSBに入っていた映像を、カメラで直接撮影し、事後番組ラストの放送に載せた。

 

 やはり、今回の「祓除」について、きっかけの部分はテレ東制作陣にある。よしぴよはある意味被害者と言ってよいだろう。

 そもそも、テレ東側も最初は単に「フェイクドキュメンタリー」という形のエンタメを作ろうとしていただけのはずなのだが、その動きはもう最初からどこかおかしなものになっている。なぜ彼らは、スピリチュアルに傾倒した人物を祓除師にチョイスしようとしたのか。

 よしぴよに、「オリジナルの祓い」を考えさせた上に、イベントで流すその映像の出処を知らずにいた? そんなのおかしいじゃないか。だって、台本があったのだろう? そもそも、よしぴよはあのUSBをどこで手に入れたのだ。あんなものが売っている通販があるか?

 テレ東側が黒幕であり、より多くの人々の「鬼神」とのチューニングをあわせようという試みがあったのか、あるいはよしぴよがたまたま手に入れたこのUSBだけが諸悪の根源だったのか、あるいはテレ東側もよしぴよも、なにか大いなる存在に影響を受けてしまっていたのだろうか。これらの答えは、まだ見つからない。

 なんか変だよな、という違和感が募るばかりだ。

 

結局わからなかった謎

事前番組、および事後番組のクレームのお手紙

 この手紙は、仕込みとして扱って良いのか、本物なのかがわからない。この内容は明らかに「祓除」という儀式についての危険性を理解しているらしき人物だった。

 まあ、実際の所、梨氏が作った怪文書なのだろうという感じがヒシヒシと出ているのだが(笑)

 

なぜ論語の引用だったのか

 先述の通り、「鬼神を敬して之を遠ざく」「仁者は難きを先にして獲るを後にす」という言葉が呪文のように用いられていたが、これは論語。特に、孔子の言葉の引用だ。別にこれらは呪文でもなんでもない。

 更に、どちらの言葉にも、霊を呼び寄せるような力は感じさせられない。むしろ、霊を遠ざけて敬うことや、仁者となるための指針、つまり「より良く生きる方法」を伝える言葉に過ぎないのではないかと感じる。

 なぜ、これらの言葉を「恐ろしいもの」のように表現したのか。なぜこれらが霊を呼び寄せるきっかけとなったように見えたのか、全く想像がつかない。

 

タイトルの意味

 祓除は、ずっとそのタイトルを祓|余と表現してきた。もちろん、文字として適切に表現できないため、あくまで映像やサムネイル画像の上でのみその表現だったのだが。

 この「除」の部分が何を表したかったのか。「祓い除く」が「祓い|余る」になっていることから「霊を祓いきれていないですよ」という表現だったのだろうか?(そもそも、よしぴよに霊を祓う能力はなかったわけで、余るどころかなにも祓えていないし呼び寄せているくらいなので、ちょっと違和感がある)

 

 これらの他にも、あれもこれももうとにかくわからないことだらけなのだが、「フェイクドキュメンタリーなのだ」という構造があるだけに、なにをどこまで真剣に考えれば良いのかも分からない。とにかく高度なコンテンツである。

 

現実的な視点での感想

 ここまで、かなり大仰に考察らしいこと(結局答えはなにも見つかっていないのだが)をしてきたが、いい加減疲れてきたので、ここからはもっと現実的な視点で感想を語りたいと思う。

 

 「フェイク」を謳っているからこそ、不気味で面白いものが作れる。そんな考えのもと集まった制作陣が作り出したこの祓除。ネットで見ていると、私のように熱中して楽しんでいる人と、冷ややかな目で見ている人、なかには憤慨している人など、さまざまな反応が見られた。

 同じく、大人気フェイクドキュメンタリーシリーズである、フジテレビの「放送禁止」シリーズでも、放送当時はクレームが多数寄せられたと聞いたことがある。きっと、テレビ東京としても、様々な反応が寄せられることは想定の範囲内だろう。

 それでも、60周年という節目で、こんなチャレンジングな企画を実行したのは、やはり「テレビ東京はまだまだ新たな面白いコンテンツを生み出すことができるぞ」という意志の表れだったんではないだろうか。

 ただ単に見ているだけでは、意味不明な映像たちも「チューニング」を合わせれば楽しめるようになる。そんな「不気味」を楽しめる人たちをもっと増やしたい、そんな思いが込められていたのではないかと感じる。

 

まとめ 

 何が本当で何が嘘かを曖昧にするための舞台装置として「リアルイベント」という異例の取り組みがあったり、「いとうよしぴよ」という実在の役者を本人役で起用したり、様々なチャレンジのある企画だったのではないだろうか。

 結果として、どれくらいの「成功」と言えるのかは全く謎であるが、自分の観測する範囲内では、少なくともかなり話題になっているように見えた。

 個人的には、いとうよしぴよ氏が非常に素晴らしかったと思う。彼が彼自身を演じていただけなのに、その姿は頼りない霊能力者であり、アイドルであり、悪役であり、被害者であった。

 よしぴよ氏が投稿した、なんだか微笑ましい完結のツイートで、この一連の記事も終了したいと思う。