2016年公開。『グッドネイバー』を紹介。
あらすじ
ショーンとイーサンのふたりは、ある老人の家に侵入してさまざまなドッキリを仕掛けた。驚かせて反応を楽しもうとしたのだが、老人は冷静な反応を返すばかりで、逆に奇妙さを感じてしまう。ある日の夜、イーサンはカメラを回収するため老人の家に侵入し…。
紹介
ドント・ブリーズ (2016)や、ヴィジット (2015)など、老人が怖いホラー映画というのが、この頃はトレンドだった。そんな2つの映画と並べて語られることも多いのが、この『グッド・ネイバー』だ。
日本版のキャッチコピーには「このジジイ、かなりヤバイ」と大きく書かれ、異常な老人というのを引きにした映画であろうことが想像できる。(ただ、ドントブリーズのようなのを期待してみると、ほぼ確実にがっかりする)
主人公となるのは、隣人である老人に対してある実験(イタズラ)を仕掛ける、バカな少年二人(高校生)。彼らの行動はかなり馬鹿げていて、なんなんこいつら?という感じが果てしない。片方はクレバーな雰囲気を出してはいるが、どっちもどっちなカス野郎どもである。
そして対になる、ターゲットである老人。ゴッドファーザーに出演の故ジェームズ・カーンが演じており、非常に素晴らしい演技を見ることが出来る。何を考えているのかわからない、重厚で老練な彼の存在が、この映画を映画として成立させている。
単純なホラー映画ではなく、悲しく重い物語を感じさせる、サスペンススリラー的な要素のある映画である。やや胸糞も味わえるため、そういうのが好きな人にはオススメしたい。
以下は、ネタバレを含む感想を述べる。未見の方はご注意されたし。
主人公たちがカスすぎる
物語全体として、主人公2人は、老人に対して「観察実験」なるものを仕掛ける。パラノーマル・アクティビティばりのポルターガイストを発生させて、その時の反応を見て楽しむわけだ。
初っ端から不法侵入はかますわ、盗撮やらなにやらやりたい放題で、そんな映像、もし後で公開したら逮捕まったなしとしか思えないのだが、彼らはそんな心配は一切なくプロジェクトを続ける。片方の少年は、途中、自分の情事すら盗撮されそうになったのをきっかけにプロジェクトをやめようとするなど、やや理知的な雰囲気を見せるが、結局は殆ど同罪である。
はっきり言って、こいつらの行動は最初から最後まで不快だ。なんでそんなことできんの?なんでそれが面白いと思ってるの??と疑問は尽きない。
最悪のコピーと悲しすぎる真実
日本版のキャッチコピー「このジジイ、かなりヤバイ」は、はっきり言って「最悪のコピー」であると言わざるを得ない。なぜなら、このジジイは別にやばくないからである。つまり、詐欺広告だ。
まあ、映画の売り方として、ジジイがとにかく怖い存在なんだ、というところからの結末のどんでん返しというのが売りなのだから、そういうアピールが必要になるのは仕方ないのだが、「ヤバイ」なんて安っぽい言葉で形容するのは映画の内容とあっていないし、後から見返したときにどうやっても怒りが湧いてくる。
本作は日本では劇場公開がなく、2017年に円盤販売が行われた形だったので、前年大ヒットのドントブリーズなどを意識してこのようなキャッチコピーにしたのだと思うが、納得がいかない。
さて、そんな「ヤバイ」ジジイだが、その本質はあまりにも悲しいものだった。劇中度々挿入される映像から、彼には愛する人がいて、それを何かしらの形で失ってしまったのであろうことが示唆される。見せ方としては、「地下室に彼女が幽閉されているのか?」とも思わせるような流れであるが、結果としては全く違うものであった。
彼は妻を病気でなくしており、地下室には彼女を祀る祭壇らしきものが作られていた。そこに侵入した少年は、そこからベルを手に取り、持ち去ろうとしてしまう。このベルは、病床の妻に老人がプレゼントしたものであった。声を出さずとも、自分をいつでも呼べるようにと。
少年は持ち去ったベルをリビングのテーブルに置いて暖炉に隠れる。老人はベルの音で目覚めて、リビングへやってきた、そしてベルをみて自害する。妻から「自分と同じところに来て」と呼ばれた、と思い込んでしまったのだ。
最悪の結末である。結局、彼はただ失った妻を今でも深く愛していただけだったのだ。攻撃的な性格や、不審な言動なども、彼女を失った悲しみで発露していただけかもしれない。少年たちのイタズラが彼を死に追いやってしまった。あまりにも悲しい物語だ。
この落差というのは、やはりジェームズ・カーンがこれを演じているからこそ胸に来る。そういう意味では、やはり彼こそがこの映画の主役と言いたいほどだ。
胸糞のラスト
映画の最後は、老人が自殺したことについての裁判で締めくくられる。自殺という結果であれど、重罪の過程(不法侵入などの、明確に少年たちが犯した犯罪)の中で死者が発生した場合は、殺人罪として扱うこともできるという話が裁判長から繰り出される。
そんなふうに、厳しさを見せつけながらも、それでも少年たちが未成年で初犯であることなどから実刑ではなく保護観察などの処置が与えられる。
ここで、悲痛に膝を折る少年たちでも見ることが出来れば、ただただ悲しい映画だったと、締めくくることができた。しかし、結果はそうではない。
計画者の少年は裁判所から出て、周りの報道陣からカメラを向けられながら、ゆっくりとほほえみを浮かべて、映画は終了する。まるで、勝ち誇ったかのような表情だ。
少年犯罪の問題というのは、日本だけではなく、海外でも同じ問題があるのだろう。そんな問題を映画でも表現したかったのかもしれないが、イチ鑑賞者の視点ではなんて胸糞なんだとがっかりさせられた。
結局、最初から最後までイライラさせられて、大した痛い目も見ずに去っていく主人公。ジェームズ・カーンは死に損である。
胸糞映画は数あるが、こちらは最悪のキャッチコピーからは想像もつかない、社会派の胸糞映画であった。
オススメはしないが、胸糞を接種したいときには見ても良いかもしれない。